| 昭和51年05月 |
厨房改修工事を進め衛生環境の完璧を期す(第15期工事) |
| 昭和51年10月 |
汚水処理施設MOラグーンシステムの設置を完了、工費2,500万円(第16期工事) |
| 昭和53年03月 |
51年から53年春にかけて全面改修工事に入り外装の再整備、玄関フロアの改修。
A館(本館)24室BT化と全面改装、WB総数75室、ノバクト取付け。(第17期工事) |
| 昭和53年10月 |
総面積2,017平方メートル(600坪)6階建、食堂、職員住宅、宿舎の建設計画に入る |
| 昭和54年08月 |
10月17日先代の忌日を期して創業30周年(会社内のみ)開催 |
| 昭和54年08月 |
雇用促進事業団の融資を受けて従業員宿舎、
福祉施設完成 2億3千万 |
| 「温泉湧出」昭和56年09月 |
4月から進めていた念願の温泉ついに湧出 工費3,000万(第19期工事)
「温泉堀削は先代からの悲願であり、バトンを引き継いだ私への遺言でもあり ました。観光網走に欠けていた目玉は温泉でもありました。<途中省略>
先代は、60メートル位掘れば出るだろうと予測し、事実60メートル掘ったのですが、今から考えるとそんなことでは成功はしなかった。当時の技術では無理もなかったのですが、私は最初からやるなら千メートルまでやってみようと決意して契約しました。ところが、800メートル掘ったところで52度のお湯が出てきたのです。従業員一同歓声を上げて喜びました。
温泉堀削を語る」 浅利清一の談話より |
| 昭和56年08月 |
倉庫建設60坪、先代時代の旧施設(第3新)別館(第1新)を解体、旧題に新分を宿舎として再び移設する |
| 昭和57年06月 |
鉄筋LC7階建(第2新館)増築延6,505平方メートル、2,000坪、客室44、大ホール白鳳500席、大広間オホーツク300帖、大広間カムイ500席、、客室総数150室、宿舎定員381名となる。(第20期工事) |
| 昭和63年12月 |
国道39号線の改修に併せて道路の取付を行う。防災と利便に対応する。表まわりの周辺の風致を考え植樹造園に心をくばる |
| 平成元年12月07日 |
男女別新浴場の完成。増改築延長(680坪)客室総数150室、宿舎定員458人となる |
| 平成03年11月03日 |
浅利社長 藍綬褒章受賞 11月14日皇居参内、天皇陛下に拝謁、61歳 |
| 平成03年12月26日 |
国際観光ホテル整備法に基づき、登録旅館第2087号をもって政府登録国際観光旅館となる |
| 平成11年08月01日 |
4度目の新本館「華の館」竣工 8,889平方メートル(2,694坪)・総建築面積26,209平方メートル(約8,000坪)客室数159室、定員564名となる。(第22期工事) |
| 平成11年11月23日 |
網走湖荘創業50年・新本館落成記念披露 |
| 平成12年06月14日 |
「人に優しい地域の宿作り」に最優秀賞(厚生大臣賞)を頂く
障害を持つ「母への想い」から発想
創業から苦労して旅館を築いた私の母が障害を持つ身になり、旅館内を見て回りたいだろうと考えた時、「段差がある、スロープがない、車椅子を利用するにあたってトイレなどが不便である」ことに気付き
「これは宿泊客の皆様にもいえる」と、思い知らされた。
そこで、改装・整備する際時、「高齢者・障害者だけでなく、全ての人に優しい施設」をポリシーとした。
私自身、入院した経験があり、病院のトイレなどの施設に考えさせられたことがあった。「病院も旅館もホスピタリティ産業ではないか」。
自館の遅れを感じ、できるだけ病院の設備に近づけるように努力した。
今後は、ハードだけでなく、ソフト面(従業員教育)にも力を注いでいきたい。(2000年5月27日 全国紙 週刊観光経済新聞より 抜粋) |
| 平成16年1月23日 |
「第29回プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(株式会社 旅行新聞社)に選ばれる |
| 平成16年4月29日 |
浅利清一社長 旭日双光章 受章浅利清一社長 |
| 平成16年10月28日 |
「園遊会」に招かれる。75歳 |